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2006年07月21日 up

集会用テントの設営方法 その3

(5)柱を起こし、テントを立てます。

a.3人でまず片側の柱(3本)を起こします。(各柱に,1人づつ配置)



*ポイント*
柱を持ち上げるときは,片手で折れ曲がっている部分を下から支え、もう片方の手で,その上部をしっかり持ち上げます。
この時、梁部分を持ってしまうと梁の鉄骨が抜けて柱が落下するおそれがあり、危険です。

必ず柱部分を両手で持ち上げます。

「せーの!!」のかけ声も忘れずに!3人で息を合わせましょう。


b.柱を持ち上げたらすぐにすじがいをはめます。

*メモ*
すじがいをはめる事で,強度がでるのです。



c.天幕の内側に付いているS字フック(ひも)を梁に引っ掛けて(結んで)、天幕と鉄骨を一体化させます。

*メモ*
既製品の屋根幕は、ひもで結ぶタイプです。当社がイベントで使用している屋根幕はゴムとS字フックを使用して、設営の時間短縮をしています。

販売するテントにも、特注品として、ゴムとS字フックをお付けすることが出来ます。

d.反対側も同じように、柱を持ち上げて起こします。


(6)横幕を取り付けます。

まず両角部分を付けてから、真ん中を付けます。
両面は柱にしばり付けます。

*やや斜め下に引っぱる様にして結ぶと、ピンときれいに張れます。

**出来上がりです**



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テントといえば、当世館(企業HP)⇨http://www.touseikan.co.jp/
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2006年07月14日 up

集会用テントの設営方法 その2

(4)屋根幕をかけます。


a.棟の中央に、たたんだままの生地を置き、棟にそって2人で左右に広げます。



骨組みの外に立ち、(2人で向かいあう)生地の配分を調整します。


生地を広げて骨組みにかぶせます。

*ポイント*
合掌の頂上(三角のカド)部分、
生地の三角部分をぴったり合わせます。


*ポイント*

角部分の生地を両手でしっかりと持ち.引っ張って鉄骨の角にかぶせます。
この時、生地の内側についているS字フック(ヒモ)を鉄骨の角部分に固定し、生地がはずれないようにします。


!! HELP !!
鉄骨の角に生地が届かない…
・鉄骨がきれいな長方形に組まれてますか?歪んでいませんか?
・合掌の頂上に、生地の三角部分がぴったりはまってますか?

集会用テントの設営方法 その3へ続く…

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2006年07月07日 up

集会用テントの設営方法 その1

2間×3間(3.6m×5.4m)の場合…

◎3人いれば立てられます。

◎設営時間 約30分

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(1)鉄骨は全部で5種類.全て揃っているか確認します。

1.柱(角柱4本・中柱2本)
2.梁(長い)3本
3.梁(短い)4本
4.合掌 6本
5.棟 1本


(2)鉄骨を配置します。

柱は角柱(3つ穴)を四つ角に。中柱(4つ穴)を中央に配置します。

(3)鉄骨を組みます。

a.柱の穴の低い方に梁を差し込み、土台をつくります。



b.屋根部分を組みます。
残りの穴に、合掌を差し込みます。

*ポイント*
先に片側の合掌を(3本)差し込み、棟を差し込んでから、反対側の合掌を(3本)を差し込むと、うまく組みやすいです。



*ポイント*
しかも!!後から差し込む合掌は、先に棟部分とジョイントしてから柱に差し込む方が、うまく組めます。

*ポイント*
生地をかける前に…
鉄骨はきれいな長方形に組まれていないと、うまく生地がかけられません。
歪んでいないか確かめましょう。


集会用テントの設営方法 その2へ続く…


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2006年06月20日 up

2ヶ月と20日が経ちました・・・

こんにちは。

はじめまして。スワ郎です。

はやいもので当世館ブログがスタートしてから3ヶ月が経とうとしています。

とは言うものの10日目に記事をアップして以来、完全に放置。

大変失礼をいたしました。

これからは、わたくしスワ郎が

みなさんのお役に立つような情報、担当した物件の紹介や、当世館のあんなことやこんなこと、

いろいろとアップしていく予定です!!

よろしくおねがいいたします♪…

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2006年04月10日 up

10日が経ちました。

ホームページをリニューアルして10日。

「ホームページ変わったね」

「新しいホームページを見ると、どんなことをやってる会社か よく分かるようになったよ」

と、お客様からお電話を2件いただきました。

ありがとうございます!!

わざわざお電話を頂き、嬉しいお言葉も頂き、スタッフ一同感激であります。                                                

準備がギリギリまでかかってしまい

3月末に エイッ!ヤッ!とアップしたので、

アップしたものの あちこちに変更点が続出・・・!

先週は毎日 手直し作業に追われていました。

まだ不完全なところがあります。

ホームページをご覧になり、「意味が分からない文章」など

ありましたら 教えていただければ幸いです。

今後とも 当世館ホームページ&ブログを宜しくおねがいします♪…

> 続きを読む “10日が経ちました。”

2006年04月05日 up

一番浮いた話

最初は、足袋だった。~between1918-1937~
    ★創業80周年記念誌より その1★

 大正七年(1918)七月、富山県魚津村の主婦たちが米の安売りを求める運動を起こした。それが、わずか二カ月余りで全国規模に広がり、約七0万人の民衆が参加する「米騒動」に発展する。そんな大正デモクラシーを象徴する事件のあった年の九月『小山テント』は創業を開始する。創業者は初代社長小山太平、妻のハナと二人の、小さなスタートであった。

 太平は、小山テントの創業開始前『仕立て屋』を営んでいた。本当は板前になりたかったが、骨髄炎を患って左足を手術してから長時間立っている仕事ができなくなった。そのため板前をあきらめ、元来の新しもの好きの気性と手先の器用さから、仕立て屋を選んだのだった。

当時は、ラシャ(ポルトガル語で室町時代末期頃から輸入された)という厚手の毛織物が普及し、オーバーやコート、二重とんびなどの走りでもあった。また、現在のように洋服店で既成服を選んで買うのではなく、すべてがオーダーメイドの時代であり、仕立て屋の需要は高かった。商売になるので当然同業者も多く、場所によっては町内に一、二軒もあるという有様だった。



 先も述べたように、太平は新しもの好きであった。そしてその好奇心は未来をしっかり見据えるという目も持ち合わせていた。「このままじゃいかん。生き残るにはもっと腕を上げなければ…」。そう思い立ち、知人を頼って単身上京する。一日何着作るといくらもらえる、という初めて体験する厳しい世界で「他の人より、たくさん作るぞ」と腕を磨いた。そう、太平はたいへんな負けず嫌いでもあったのだ。                                                                                                         

腕を上げて新潟に戻っては来たが、やはり商売をもっと拡張するには「人と違うことをしなければ」と再度東京へ出る。そして店先に出ていた『日除けテント』というものを憶えて帰郷した。新潟でぼちぼち受注もあり、取り付けているうちに大手の会社から目をかけられ、仕事をいただくようになった。

                                                       こうして、新潟県で初めてテントシート・日除け等の製造販売を営む会社『小山テント』が誕生したのである。

                                                      テント屋の看板を掲げていたが、東京時代に培った仕立ての技術は健在で、そちらの仕事も平行して続けていた。

 仕立て屋時代の太平が一番最初にしていた仕事は『芸妓さんの足袋』を作ることだった。冗談好きな太平は

「俺は芸妓さんの足はみんなさわったぞ。そんなこと、敦井さんでも新津さんでもないだろう」

                                                       といつも自慢していた。敦井さんとは新潟きっての事業家で、新津さんとは国内で一番産油量  が高い新潟県の石油王である。その二人でさえ、「さわったことはないだろう」と言うのだから、これはただ事でない。

                                                          港町として栄えてきた新潟の花柳界は全国的にも有名だった。街は『柳都』と称される程、美しく茂る柳が海風に揺れ、堀にはさらさらと水が流れ、その上を緩やかに弧  を描いた橋がいくつも架かる…。そんな景色に目をやりながら、しなやかに街を歩く美妓たちは、まさに新潟の華であった。しかも、行儀作法が行き届き、芸も達者で、情が深かったため、訪れる客人は皆心を奪われた。

                                                     こんな芸妓さんたちの足に触れ、木型を起こし、足袋を作っていたのだから、当時の男性たちからみれば、さぞ羨ましい仕事だったのではないだろうか。

                                                     太平の自慢はもう一つある。東京の知人に「徒歩や自転車での営業には限りがあるよ」とアドバイスを受け、ハーレー・ダビットソンのオートバイを購入したことだ。当時、そんなハイカラなものに乗っていたのは新潟でも三人しかおらず、「ブ~ン」と柾谷小路あたりを走らす彼等の姿を見て、街の人たちは音のきちがい、『音キチ』だとあだ名した。  そんな営業努力?が実り、次第に事業も広がっていった。一番大きかった仕事は新潟病院(現=新大病院で明治六年に開院)の窓に日除けを取り付けるもの。それは、二年間にわたって約500台設置した。

                                                     大正三年(1914)に始まった第一次世界大戦は日本に軍需景気をもたらしたが、戦後は不景気が続き、さらに昭和四年(1929)にアメリカから始まった世界恐慌が追い討ちをかけていくが、小山テントは順調に成長し、昭和一二年(1937)、日中戦争開戦の年には早川町に工場を新設するまでになった。

                             ・・・つづく♪…

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2006年03月31日 up

はじめまして

はじめまして。

空間創造活動隊こと「株式会社当世館」です。

知って得する? 屋外広告、膜構造建築物、イベント設営のことなど、

少しずつアップして行きます。

どうぞよろしく。

そうそう、ホームページのほうもリニュアルしました。

ぜひ一度、ご覧ください!!

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